農コラム
COLUMN

元プラントエンジニアが農家になりました(2/3)
脱サラ農家が教える、農業の始め方
2022.11.11

今回は、農業を始める前に17年間勤めた前職のことにちょっと触れておこうと思います。

栃木県真岡市、私が子供の頃で人口が約6万人。 工業と農業の両立を目指す市です。 ド田舎ではないが都会でもない、、そんな片田舎で育った私は、いつしかもっと大きな世界に憧れ、カッコよく英語を操りながら世界を股にかけて仕事をする大人になることを夢みました。

大学修了後は大企業に就職

そんな憧れを抱いて、大学修了後に就職したのはプラントエンジニアリング会社「日揮」。 2000人の従業員を抱える、業界最大手の大企業です。 この会社を選んだキッカケは、正に世界を股にかけて仕事ができると思ったからです! でも、この大学終了時点で英語はからっきしダメ(笑) 入社直後の頃に、イタリアのベンダー(発注した機械の製作会社)と電話で話さなければならなかった時は、マジで相手が何を言っているかチンプンカンプンで参りました(汗) 

そんな私でしたが、毎日の業務の中で英語も鍛えられ17年間の会社員生活の中で4か国に長期駐在しながら約9年を海外で過ごす生活をしていました。 毎日深夜まで会社で仕事をするような生活でしたが、旅行では行かないような国にも駐在しながら、刺激的な充実したエンジニア生活でした♪

20代の頃に駐在したカザフスタンの現場にて、客先担当者と一緒にパチリ

自分を大きくしたカタール駐在

4か国の長期駐在の中で一番思い出深い国は、30代前半に約3年間駐在した中東カタールです。 メジャーオイルの代表格にロイヤル・ダッチ・シェルのGTL(Gas to Liquid: 天然ガスを石油に変換した燃料)プラントの建設現場で、一つの建設現場の中で数万人が働く巨大プロジェクトでした。 

この現場ではプラントを構成する重要な設備のエリアを任され、オランダの癖のある施工業者とチームになって必死で工事を進めていましたが、スケジュールは遅れる一方(涙涙) 数千億円のプロジェクトを、自分の担当エリアの遅れで台無しにするのではと肝を冷やす毎日で、この経験で私という人間は一回り強くなりました! ホントに、自分の限界の底を見ることができました(苦笑)

一方で、この駐在の間の1年半は家族と一緒に帯同も出来て、日本では経験できない海外での生活を、妻と3歳/0歳の息子2人と過ごすという貴重な経験も出来ました☆

カタール駐在中の休日にダウ船クルーズでの家族写真

そんな充実した会社員時代でしたが、40歳になるのを機に脱サラして就農するという一大決心をすることになるのです!!

次回は、脱サラ就農に至る経緯などをお話しようと思います。